民法第七百五十条批判序説  48

      ーー夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。ーー

 

わたくしの友人に 矢田務君という人がおります

もうかなりいい齢ですが まだ結婚しておりません

適当な相手がいないかというに そうではない

長年つき合っている恋人がおります

長年つき合っていながら結婚しないのはなぜか

矢田君がプレイボーイであるのか

はたまた 彼女が自立した女であるのか

というに そのいずれでもない

矢田君は きわめて責任感が強く

彼女は至って保守的であります

にもかかわらず 結婚しない

結婚しない そのわけを まずひととおりお聞きください

 

彼女は 星野和(かず)さんといいます

いい名前ではありませんか

ところが このいい名前の和さんが

ひとたび矢田君と結婚いたしますと

ここに めでたく 矢田和さんとなる

これを「やだ かず」と読めば問題はない

「やだわ」と読めるところに問題があります

 

矢田君は やさしい男でありますから

彼女が「やだわ」と悩んでいるのを見て

次のように申しました

「それなら ぼくが君の姓を名乗ることにしようじゃないか

 ぼくは一人息子だから おふくろは泣いてとめるだろうが

 それは なんとか説得しよう」

泣いて喜ぶと思いのほか 和さんは相変わらず浮かぬ顔

 

同窓会の名簿などでは

改姓した人は名前のあとに旧姓を示すのが一般的ですが

ときに 「大下和代(旧姓大下)」 といったぐあいに

姓が変わっていないのに 「旧姓」 が示されていることがあり

こういうのは例外なく女性の名前です

この 「大下和代」 さんにしてみれば

「おお したわよ 結婚

 姓は変わってないけど 独身だと思わないでね」

と 念をおしておきたいのでしょう

矢田君の恋人の星野和さんも

結婚したことがすぐわかるように姓を変わりたいのです

姓は変わりたし 「やだわ」 じゃ やだし

これからほかの男をみつけるのも大変だし……

 

まあ ざっと申せば こんな次第ですが

考えてみると これは彼らだけの問題ではない

たとえば 加代さんとか佳世さんとかいう名の女性が

もし 大場姓の男性と愛し合うことになったとしたら

そこに同じ悲劇がくり返されることはないと

だれが断言できましょうか

この点に深く思いを致したとき わたくしは

民法第七百五十条の規定と その背後にある思想とに対する

根底的な批判の展開を決意せずにはいられなかったのであります

 

 

【ブログ版への付記】

ハードカバー版に収めた作品に手を加えました。

改変箇所(末尾の2連)の、もとの表現は、次のとおりです。

 

同窓会の名簿を見ていると ときどき

「浦海面美(うらみつらみ)(旧姓浦美)」

なんていうのにぶつかりますが

矢田君の彼女も 結婚したことがすぐわかるように姓を変わりたいのです

姓は変わりたし 「やだわ」じゃ やだし

これからほかの男を見つけるのも大変だし……

 

まあ ざっと こんなわけですが

考えてみると これは彼らだけの問題ではない

見栄子さんという女性が もし 清水君という青年と愛し合ったとしたなら

そこに同じ悲劇がくり返されることはないと だれが断言できましょうか

この点に深く思いを致したとき わたくしは

民法第七百五十条の規定とその背後にある思想とに対する

根底的な批判の展開を決意せずにはいられなかったのであります